鐘の鳴る丘に立つ | 富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

太鼓打ち・富田和明の、太鼓と関係あることないことをその日の気分で綴る、和太鼓ドンドコ日記







 僕の実家から高校の母校・兵庫県立津名高等学校は、目と鼻の先だった。


 学校のチャイムが鳴り始める最初の音を聞きながら、靴を履き、家を出て走る。校門をくぐり下駄箱で上履きに履き替え、教室の椅子に座ったところで、チャイムの最後の音が鳴り終わる。


 


 こんなに近いと遅刻もないかと言えばその逆で、高校三年生時代は毎日遅刻。かえって片道何時間もかけて通っている生徒の方が遅刻もなかったりする。


 


 その母校が引っ越しをした。


 前々から話には聞いていたが、いよいよ今年の四月、町の中に溶けこむようにして建っていた場所から、近くの山を切り開いた場所に引っ越しした。いきなり完成してしまうモノである。


 今年の一月も淡路には帰って来たのに、気が付かないでいた。


 


 この山は僕の散歩コースの一つでもあったのに、一月は近づいていなかったのだろうか‥‥。


 それがこの前の日曜日の夕方、知らずに歩きに行ってビックリ仰天。


 カルフォルニア大学アワジアイランド校かと見まがうほどの、おしゃれな建物がその丘に建っていた!


 


 


 中庭も芝生と石段の野外円形ステージになっている。素晴らしすぎて、声を失う。


 僕の高校時代、昼休みにフォークソング同好会の活動場所になったのが中庭で‥‥‥しかしこの素晴らしすぎる中庭では唄うのは‥‥‥今の僕には恥ずかしいかもしれない(誰も歌えとは言わないだろうが)。


 


「ブラスバンド部員募集」の紙が窓に貼ってある部屋も覗いた。


 美しい‥‥‥こんな部屋で練習するんだろうか‥‥‥僕たちの時代の部室は木造の‥‥‥‥‥‥。


 


 


 この落差。


 


 でも今年の三月まで僕が使っていた校舎がそのまま使われていたことにこそ、驚くことなのかもしれない。あれから30年は経ているのだから。


 


 しかし、五月晴れの日曜日の夕方六時。一人の生徒も、先生の姿もない。


 


 たぶん、事務室にはどなたかがおられるのだろうけれど、広い整備された運動場にも、美しい校舎にも中庭も、無人。


 


 ただ明るい日差しと青い空がそこを照らしていた。


「関係者以外立入禁止」と確かに門の入口に看板はあったけれど、本当に誰も見えない、もぬけの殻。こんな時間に入ってくるオレがおかしいのか?


 僕たちの時代なら、まだきっとクラブの練習か自主練はしていたはずだろうし、町中にあった旧校舎では、そこが人々の散歩コースや遊び場所になっていたので、誰かがうろうろしていた。野良猫野良犬も走り回っていた。時代は変わったのだ。


 


 


 僕が学んだその旧校舎は、いま大きく改装中だ。


 来年の四月開学を目指して工事中。兵庫県で初めての看護大学・順心会関西看護医療大学として生まれ変わるそうだ。


 


 


 


 さっそく今朝方布団の中で、僕は高校に通う夢を見ていた。


 高校は卒業したはずなのに、また通わなければいけなくなったようで、僕一人がいまのままの年齢だ。


 


「困ったな~またもう一回、高校からやりなおしかよ~」とつぶやきながら僕は階段を上がり、教室に入る。窓からは木々の緑と町の活気が見えた。


 その場所はもちろん、僕が通った校舎だ。


 


 始業のチャイムが鳴り終わって、教室のドアが開く。M先生が入ってきた。


「トミダ、今日は早かったな」


 


 


 


 


 


 


 


 


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