二子山親方の大関・貴ノ花時代、一度だけお会いした事がある。
これも佐渡國鬼太鼓座の末期なので、25年ほど前の事になるだろうか・・・。 時既に鬼太鼓座から鼓童に向かうべく進行していた。鬼太鼓座創設者・田耕(でん たがやす)氏との話し合いも付いていた頃だった。 リーダーの河内敏夫(通称/ハンチョウ)が、珍しくみんなにこの仕事の説明をした。
「今回のCM撮影は、異例の事なんです。これまでの借金返済の為、やむなく引き受けた。そういう事情があります」と。
鬼太鼓座から独立する事になっていたが、借金を鼓童が引き受ける事になっていた。どういう経緯があったのか、このCM出演でどのくらいの借金が返せたのかなど、まだまだ新米の僕には判らない。 鬼太鼓座はほとんどCMには出ていなかった、数少ないCM出演が、貴ノ花関との競演だった。
場所は、大船撮影所だったと思う。
屋台の上に上がって、真ん中の大太鼓を貴ノ花関が叩いた。 普段は、林 英哲さんが叩いている場所だ。英哲さんが太鼓指導などをおこない、僕らは周りで叩いたような記憶がある。どこの会社のCMだったかは記憶にない。
撮影もほとんど終わりに近づき、短い会話があった。 少年のような英哲さんの姿を見て、貴ノ花が英哲さんに年を聞いて驚いた。 「えっ? 俺と二つしか違わないの?」 「見えないね~、苦労してないんじゃないの?」
当時の鬼太鼓座は修行僧のようにマスコミに取り上げられていたので「苦労してないんじゃないの?」なんて誰も言わない。 貴ノ花関は感じたことをそのまま言葉に出ただけなのだろう。なぜかこのシーンだけをはっきりと覚えている。 この時貴ノ花関は、やはりすでに相当に人生の山を踏んで来ていたのだろうと思った。
現在の相撲界を引っ張り、二人の横綱を育てた親方の死は、あまりにも早かった。御冥福をお祈りいたします。
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