さて終わりました、佐藤健作のチャリティーライブ。
今回はゲスト出演ですので、僕は気分は楽に参加していましたが、体力的にはかなり大変。肥りすぎですから。でもそれだけではありません。
佐藤とのライブ。一般公演は実に六年振りか?それに場所が勝手知ったる門仲天井ホールですから、まラクに楽しいものをやりましょ。となったのですが、
楽しいものと、ラクに、というのはなかなか手をつないでくれない事が私の場合多いのです。
太鼓を持ったり、抱えたりして動いて叩く太鼓が好きなんです。
演目になった一つ、今回は『阿乃鼓(あのこ)』という名前を付けましたが、この阿波踊りのリズムから曲構成したものは、初演が齊藤栄一との和太鼓トーク齊富が初演でした。その後、熊谷修宏とは徳島のイベントでやり、そして今回の佐藤版となりました。 阿波踊りの大太鼓は抱えて歩くだけで踊りません。
歩くだけでも大変なんですが、そこを踊りたいというのが僕の発想です。
気持ちはあっても、ラクではありませんね。一回稽古するだけで、その後は休憩しなくてはいけません。汗が噴き出ます。
そして、もう一つの演目が佐藤の希望で『三宅』スタイルで別の曲を叩きたい、ということです。 それで最初は太鼓を二台並べて三宅を二人で叩く絵があったのですが、舞台が狭くてそれは止め、佐藤の『七丈(ななじょう)』という曲を三宅風にアレンジしました。『二宅(にやけ)』という名前が付いてます(命名・佐藤)。
僕はあまり気に留めていなかったのですが、佐藤は後で聞くとかなり気合いが入っていたようで(実はこのスタイルを人前で叩いたのが初めてだったそうです)、密かに練習してその後、これまた体がガクガクになっていたそうであります。
そしてそして、今回が舞台初演になった『足駄(あしだ)に向かって打て』(命名・佐藤)。 最初のイメージは桶太鼓を胸前に抱えて、唄を歌って踊り、ジャグリングを入れたりしようかと言って稽古が始まりましたが、どうもまだ何かが足りない。そこで一本歯下駄を履いてみたのです。
一本歯下駄は、天狗下駄とも言われますがこれを履いて太鼓を叩くというアイデアは、佐藤が前から自分のソロ演奏で考えていたものです。 それで去年、一回だけ僕と「和太鼓 里味」公演で叩いたのですが、まだそれは単に履いていた、というだけでした。
話をグッと戻します。 この前の月曜日から始まった長野合宿の二日目。
曲作りで考え込んでいた時に、佐藤が「こんなのどうですか?」と叩いた一つのフレーズがありました。
広い体育館なんです佐藤の稽古場は。空間があるところで曲が生まれますね。
始めは僕が二尺、佐藤が二尺五寸の桶太鼓を抱え、それだけでも重くて大変なのに、天狗下駄を履いて二人がウロウロしていたのです。
体育館は絶好の場所です。 そこで佐藤がふと叩いた一つのフレーズから、「これはいけるんではないの?!」となり曲作りはスタートしました。
「こんなことはできるかな~」 「これは、どうですか?」 と、そして全体の流れが少し見えてきたところで、二人がヘトヘトになり休憩しようとなりました。
夢中でやっていたので、どのくらい時間が過ぎたのか判りません。
佐藤の稽古場には、あえて時計が置いてありません。
日が暮れて星が見えてきたら、そろそろ太鼓を叩くのは控えようか~、という日時計があるだけです。
そこで太鼓を下ろし、下駄を脱ぎ、小休止しました。
やれやれ~ 毛布を床に敷いて、寝っ転がる二人。
雨も降らない梅雨とは名ばかりの信州空の下。 目を閉じて、意識が遠のきそうになった時、
ガラン! と音がします。
「‥‥‥今の何の音?」
「最初は僕も何の音なのか判らなかったんですけどね~、どうも木の実らしいんですよ‥‥ 」
「木の実‥‥‥?」
それにしてはかなり大きな音です。
何度目かの、木の実が落ちる音を聞いて、 「さ、そろそろケンサク~、やろ~か~?」と僕が声を掛けました。
「ファ~イ‥‥ でも、もう少し休みましょうか、いいですか~?」とケンサク。 「そうか、いいよいいよ~」
それでまた何度か、木の実が落ちる音を聞いて 「ケンサク、どうだ~ そろそろやるかい???」と僕が声を掛けますと
ケンサクに返事がありませんでした‥‥‥‥‥。
(後編につづく)
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