木の実が落ちる時、音が生まれる(後編) | 富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

太鼓打ち・富田和明の、太鼓と関係あることないことをその日の気分で綴る、和太鼓ドンドコ日記






前編をまだお読みでない方は、先に前編を読んでからにして下さい


----------------------------------


 


 


 


 


 


「ケンサクどうした~?」


 


 


 


 


 


 


 


「いや、ダメです。ちょっと動けません」


「・・・・?」


 


 


 


 


 


 


「どうも脳しんとうを起こしたみたいな感じで‥‥‥」


 


 


 


「大丈夫か~?」


 


 


 


 


 


 


 


「こんなこと、研修所以来です」


 


 


 


 


 


「研修所って‥‥‥鼓童の研修所時代か~?」


 佐藤健作にも鼓童の研修所時代が六ヶ月あったそうですが、いったいそれは何年前のことだ?


 


 僕はもうその時は、鼓童にはいなかったから‥‥‥10数年前の話だろうし、それ以来、こんな事になった事はないらしい。それほど大変な事が、佐藤の体に起こったのか‥‥‥。


 


 


 佐藤は、一般的には鋼鉄の体のイメージがある。僕も最初は冗談を言っているのだと思っていた。


 ま、でもここはもう少し休むことにして様子を見ていたら、それでもまったく動けない様子で、僕にも「佐藤が本当にダメだといっている」という事が判ってきた。


 


 


 


 


 


 倒れたままだけど、でも声を掛けると返事はあった。


 


 


 


 


 僕一人、じっとしていてもしょうがないので離れた場所で少し練習をした。


 


 


 


 


 


 


 


 しばらくして、佐藤が顔をまだ少し青ざめたまま、体を起こした。


 


 このままで今日はまだ終わるわけにはいかないのだ。


 


 


 


 


 


 下駄は履かずに太鼓も持たず、曲の構成の確認だけをやる。


 でもこれで、この日はもう帰ることにする。


 


 


 


 


 


 


 まだ完全な夜空にはなっていない。少し青みが残る空だ。


 


 日が長いなと思っていたら、この日が夏至だったと後で知る。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 翌日、まだ完全回復ではないもののケンサクも動けるようになり、最後の稽古日を迎えた。


 


 


 あまり長くやってもしょうがない。


 集中してできるだけ短く終わらせようと、動きの確認を何度もやり、実際に太鼓を抱える時間は極力短くした。


 


 


 できれば午前中にめどを付けたいと思い演っていたが、軽く全体通し(舞台演目の最初から最後までを通す)を終えたのは、昼をだいぶ過ぎていた。


 車に自分の太鼓の積み込みをして、上の蕎麦屋で遅い昼飯を食べ、僕は横浜まで走らせた。


 


 


 


 


 


 


 


 佐藤の稽古場での時間は、僕に懐かしい感覚を呼び起こしていた。


 


 ヒンヤリとした広い空間、床の感触、風の音、草息、虫たちが闊歩する姿‥‥‥何よりも時計がない、時の流れ方が新鮮であり、懐かしかった。


 


 


 


 


 


 


 この稽古合宿から帰って三日目に、門仲天井ホールで公演があった。


 


 今、公演を終えてみて一番印象に残っている演目が、一本歯下駄太鼓だ。初演でもあるので、当然かもしれないが。


 


 


 


 これは足を踏まなければ音がしない。


 


 足を上げて、床を踏み鳴らす。


 


 この地を叩く行為が、気持ちいい。


 


 


 


 忘れていた。


 


 足を踏むことを。踏ん張ることを。


 


 


 


 


 


 今の生活の中からは消えてしまったけれど、人間には本来この行為が生活の中で必要で、その動きを体は求めるように出来ているのではないだろうか?


「気持ちいい、気持ちいい」と体が言っている。


 


 


 


 


 それに太鼓を抱えてこの下駄を履き、太鼓と床を鳴らせば一瞬にして汗まみれにもなる。


 


 


 太鼓と下駄の、この稽古はまだまだ始まったばかりだ。


 このスタイルは面白い。


 


 


 太鼓を床に置くだけで、横からバチを振り叩くスタイル(三宅)を初めて見た時、コロンブスの卵的衝撃だった。


 でも、太鼓を抱えて一本歯下駄で床を踏むスタイルも、近年の中ではかなりの衝撃かもしれない。


 


 


 このスタイルだって、誰でもすぐに真似はできる。


 


 ただ、体力、バランス力が必要だし、そしてヒザへの負担もかなりなものなので、故障がなく続けられればと、条件が付く。


 この踏ん張りを次回、皆様の前でお見せできるのはいつのことか判らないが、ぼちぼち続けていたいと思う。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 ガラン!


 


 佐藤の稽古場で、疲れて二人して床で横になっていた時、僕は初めてこの音を耳にした。


 


 


 


 


 


 不意に聞こえた木の実が落ちる音は、何かの贈り物だったような気がしている。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


  


 


 


TOP過去の日記太鼓アイランド案内MAIL