日本全国壱千萬、脳卒中予備軍のあなたに贈る、第二弾!これが危険信号だ! | 富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

太鼓打ち・富田和明の、太鼓と関係あることないことをその日の気分で綴る、和太鼓ドンドコ日記

昨日は、体質上の、或いは食生活上、の危険体質について、
また大変重要な、その後の再発防止などについて書きましたが、
今日は、具体的にどんなことが私の身の上に起こったのか?



何が病院に行く行かないの判断決め手となったのかを、具体的に書いてみたいと思います。








今後、あなたの身の上に思い当たる事が生じた場合は、充分にご注意下さい。





それではまず時計の針を土曜日の9月13日にもう一度戻してみます。


夜6時45分まで稽古をした二人(僕と齊藤)は、太鼓道具などをトラックに片付け、7時15分頃、終了したように思います。
そしていつもなら私が運転するところを、栄一が「僕が運転しますよ」と言い、「それじゃ頼むわ」と鍵を渡した。



仔細は忘れたが、積み込みの時に、何か僕の動きに感じるところが栄一にあったのかもしれない。僕は何も有りませんでしたが。
ホテルに着いて、それでは荷物を置いてすぐ食事に出発となっていましたが、私は着替えに手間取りました。
これは前からですが、左腕が痛くて、汗をかいた後のTシャツを脱げないのです。そして着る事も辛いのですが、これは五十肩の影響です(一旦治ったんですが、また半年前ほどから痛み出しています)。
きちんとTシャツを着られないまま(半分お腹が出たまま、ちょっと情けない格好で)エレベーターに乗り、一階に着いてから待っていた栄一にシャツをお腹の下ろして貰いました。
こういった時点ですでに若干介護の必要な人間であることは間違いないですね。
そして選んだお店は草加駅西口前ビル4階の魚民です。
エレベーターで4階に上がり、お店に入ってすぐ下駄箱入れに靴(クロックスのサンダル)を入れました。
個室はなくて、奥のカウンターに二人横に並んで座りました。


飲み物は最初から僕はホッピーの焼酎割りで栄一は生ビール一筋。食べ物は、サラダに串盛り合わせ(タレは塩)、それからなんだっけ?途中明太子ピザも頼んだかな・・・。飲み物は二人ずっと変わらず飲み続けていましたが、僕は焼酎を濃くしてくれとリクエストしていました。
アレ?と思った第一。
「飲み物が口元からやけに零れる」
お絞りや紙ナプキンで何度も拭きながら飲んでいた。こんなことは普段ない。


第二。
「ジョッキを最後に倒して、足元に落とす」
おかしいな、そんなに酔ったのかな、と思う。こんなこともそうない。
「吐くなら飲むな、倒すなら頼むな(注文するな)」をモットーとしている私ですので、もったいないです。


第三。
「携帯で写真を撮り合った顔が、僕の顔は普通に笑っているつもりが左の口が開かず右だけ開いていた」
その時は、写真を確認していなくて、翌日見て驚く。


第四。
「帰りに足元がおぼつか無かった」
こんなことも僕には珍しかった。でもこれはそんなに飲んだのかなと思っていた。


第五。
「ホテルに帰って、夜中一階の自動販売機まで水を買いに行こうとした時、左手に持った財布を何度も落とした」
「最後は自動販売機の前で落とし、この時はコインが散らばり、自分で拾うのが拾い辛かった」
「ペットボトルの水を飲む時も、口から水が零れた」
朝を迎えて、


第六。
「無料朝食をセルフサービスで取り、そのプレートをテーブルの上に置いておにぎりと漬物等を食べていたが、味噌汁の御椀を左手で持つのが怖かった。力が入りずらかったから」




の変化を自分でも感じつつ、またしても、栄一の運転でトラックに乗り、ホテルから稽古場へ向かう。
太鼓などを下ろして、十四日の稽古を始める。
ストレッチをして、
自分でも口周りに違和感があったのか、ういろう売りのセリフを自ら稽古。栄一と二人で行い、その後、少しそこで寝てしまう。
そんなに長い時間ではなかったと思う。その間、栄一が一人でういろうのセリフ覚えをしていた。
短い眠りから目覚め、稽古再開。
その日の予定演目順に稽古をすることにして、最初に『丼うどん』、次に『大きな古時計』を叩く。


第七。
「微妙な曲始まりにバチがうまく動かなかった」
「左右のバチが何度も音を立てて当たった」
「得意の左手の動きがどうも昨日の動きと違った」
この曲を叩いている時、自分でもどうもおかしいと思った。
これは病院に行った方がいいかもしれないと思ったが、交流会の本番が終わったらすぐに行こうと、思った。
ら、その曲が終わった途端、栄一が
「トミダさん、病院へ行きましょう」と言った。
「やっぱりおかしい?」
「どう見ても左手が痺れているみたいですよ。早く病院へ行った方がいいですよ」
「今日(の交流会)、最悪一人になっても大丈夫?」
「大丈夫です」
この言葉で、僕も決心が付いた。病院へ行こう!





稽古場に使っているセンターの受付で尋ね、近くの休日診療の病院にまず向かう。


Tクリニックで血圧を測ると170を超えていた。他に症状を医師に伝えると早くCTで検査を受けた方がいいとなり、設備のある病院に紹介状を書いてもらう。
そして、今入院している病院の救急センターに入ってCT検査を受け、小さい出血が見つかり即入院となった。


そこから6階の病室まで行くのにも車椅子に乗せられる。
「歩けますよ」と言いましたが、「倒れるといけませんので」と言われる。
同じ理由からか、重病患者専用個室に入った一日目、「トイレには行かずに、この尿瓶に入れて下さい。終わったら看護士を呼んで下さい」と言われる。「オシッコ出ました」ナースコールは恥ずかしかった。
こんな機会もそうないだろうと、量を記録したら、出し初めが400cc、二回目が300cc、三回目250ccと減っていったが、僕の膀胱は200cc溜まると尿意を覚えるようだ。翌朝の一番絞りは400ccでした。
他にすることがないので、水ばかり飲んでいたせいか、24時間で10回以上、3000cc以上も出た。2リッター入りペットボトルに入れると、1本と半分。2本には足りませんでした(だからどうしたということでは、ありませんが)。
水を飲んでオシッコをしては、寝ている。という初日でしたが、一人の看護士さんが部屋に入って来て、
「昼間にあんまり寝てしまうと、夜に眠れなくなって寂しいですよ」と言いながら、夕方に電気を付けた。
「電気を付けた方が寝ないだろうから点けておきますよ」という事だろうけど、僕は別に出掛かった言葉を飲み込むのに精一杯だった。



さてその頃、川柳文化センターでは、トーク齊富(サイト)改め、「トーク齊藤(サイトー)」が演られていた筈だった。
四時から五時はさすがに少し気になってたが、気にしつつ寝ていた。御免なさい。






お詫びの印にもなりませんが、交流会で最初に僕が話そうと思っていた事を書いて、今日は終わりにしたいと思います。
実はこの会話は、Nさん運転の車で、最初に行ったTクリニックからS病院に向かう間に栄一に
「今日、オレは参加出来なくなったけれど、これだけはみんなに伝えてくれ」
と言って話したものです。






富田和明(T)みなさ~ん、明けましておめでとうございま~す!
齊藤栄一(S)どうしたんですか、トミダさん!
T)まだ今年皆さんには言ってないと思ってね。
S)そりゃそうですけど、遅すぎますよ。だんだんとまた新しい年が近づいていますけど。
T)早いもんだね、月日の流れるのは。
S)そうですね、もうびっくりします。
T)僕が指導で毎月この草加に通うようになってからも、もう5年以上の年月が流れてるんだけど、昨日、びっくりした!
S)何にびっくりしたんですか?
T)草加の駅前にあんなビルが建ってたんだね、昨日初めて行ったからびっくりした。
S)よくある地方の駅前って感じですけどね。
T)でもさすが草加だね、ホテルの部屋に入って一番びっくりした。
S)何に驚いたんですか?
T)さすが草加だよ、布団がセンベイだった!
S)ああ、僕の部屋もそうでしたよ。
N)へぇ~そうなんだ!
T・S)そんなわけないでしょ!!
N)私、ホントにそうだったのかと思っちゃった。
T)でもね、この布団で寝ていたらフランスの香りがしたんです。
S)ホントですかトミダさん?どこがフランスの香りだったんですか?
T)この布団の上で寝ていたらね・・・・・、パリッとした響きが聞こえたんです。
S)・・・・・・・トミダさん、言いたいことはそれで終わりですか?・・・・・・もう黙って入院してて下さい。
T)栄一、後は頼んだ!
S)判りましたから、黙ってて下さいって!