津波の被害が大きかった地区の中にあって、高台の上に鎮座している塩釜さん(宮城県塩竈市)は、ほとんど地震の被害を感じさせない佇まいでした。
もちろん、港や街の被害は大きいのですが、神社は大丈夫のように見えました。
その地に建てられているというのは、先人たちの知恵なのか、神さまの教えなのか、とにかく塩釜さんは立派でした。
なにが立派かというと、街の人々に愛されていることが、お参りに訪ねただけで、充分に分ったからです。
僕は朝の7時くらいに訪ねましたが、すでに参拝の人が多く、みんな挨拶をしてくれる。
気持ちのよい挨拶でした。
その日、朝5時から被災地を見て回っていた僕の胸に、爽やか風としてその声が響きました。
塩釜さんの字がこんなに難しい字だったとは、行ってみるまで知りませんでした。
絶対に書けません。
初めて訪ねた土地ですが、塩釜神社の名前は小さい時から聞いて育っていました。
僕の母方の実家は江戸時代、北前船を持ち、回船業を営んでいたので、淡路島から船を出して兵庫から瀬戸内を通り、日本海に抜けてから北上して松前まで行って戻ってくるのですが、
時には、津軽海峡を抜けて太平洋に出て、塩釜さんがある伊達藩まで通っていたそうです。
そしてその当時に買ってきた塩釜さんの掛け軸があり、これは安産祈願のお守りとして、町の人々のお産がある度に、それぞれの家を巡回して使用されたそうです。
もちろん僕も、この塩釜さんの掛け軸が掛けられて、生まれて来たと、母方の祖母から何度も聞いていたのです。
そんな塩釜さんと、初めて対面しました。
被災地の中にあって、復興のシンボル的な役割を担っている神社ではないかと思いました。
ちなみに母方の実家があった港は、江戸時代の海商・高田屋嘉兵衛によって改修された港で、名前は「塩尾港」。
浜で海水を集め釜に入れ、火で炊いて塩を作っていたからだ。現在の名前は「塩田」。
塩釜さんと関係があるのかないのか、気になる名前ではある。