熱気に包まれるホール、この熱気こそが命〜門仲天井ホール | 富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

太鼓打ち・富田和明の、太鼓と関係あることないことをその日の気分で綴る、和太鼓ドンドコ日記

私は貧乏太鼓打ちです。
それでも何とか生きていけるのは、ごくわずかですが応援して下さる方や、公演を見に来て下さる方や、太鼓を習いたいと言って集まって下さる方がいるからです。
太鼓打ちとして「生きているぞ」と発信できる公演場所は、門仲天井ホール以外に他は考えられません。
私にもっともっとたくさんのお客さまがいたら、私にもっともっと資金があったら、もちろんもっと他にもスペースがあったかもしれません。でも、そんな「もっともっと」は私にはありません。

私が門仲天井ホールを初めて使わせて頂いたのは、14年前の1997年12月。私と佐藤健作、二人の太鼓打ちによる公演でした。当時の日記にはこう書かれています。
「8階はホールと言っても、ガランとした空間が待ちかまえているだけ。客席も舞台も自由自在、いかようにも変身可能な不等辺八角形の器である。太鼓道具を全部ホールに運ぶと、遠く離れた駐車場に車を移動して、それから舞台を作る場所の後ろに梯子で登っての黒幕吊り、平台を組んで舞台と客席作り、平台の上を歩くと板の音が大きいのであわててパンチを張ることにして金槌仕事、客席の椅子は天井ホールのこれまた天井裏から降ろしてきての客席作り、これらを全部、ホールの総支配人兼雑役・黒崎八重子さんと健作と三人でやったので、とにかく黙々と汗も吹きだし時間も過ぎてゆく。」
(全文は、こちらにあります)
太鼓の演奏どころではなく、準備と片付けに多くの労力を使います。この日は朝から何も口にする時間が取れずに、その日やっと食べたのは家に帰った午前零時半過ぎでした。
でも、そうしてでも楽しい時間があったんです。すぐに、またここで叩きたいと思いました。
お客さんが目の前にいるんです。飛び散る汗も、涙も、涎も、おかまいなし。
熱気に包まれるホール、この熱気こそが命、私が求めていた場所はこういう場所だったんだと思いました。

この日から14年間、私のような太鼓打ちに、ずっと味方してくれていたのが、門仲天井ホールです。
いつも、感謝しております。



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門仲天井ホールが存続の危機を迎えています。
感心を持って頂ける方は、賛同の声をお願いします。
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