淡路島・塩尾浦に立つ石碑と石像〜高田屋嘉兵衛(たかたや かへえ) | 富田和明的太鼓日記『その日の気分打!』

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太鼓打ち・富田和明の、太鼓と関係あることないことをその日の気分で綴る、和太鼓ドンドコ日記

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淡路島の偉人といえばまずこの方です、高田屋嘉兵衛さん!

ご存じなければ、司馬遼太郎さんがお書きになった『菜の花の沖』をぜひお読み下さい。


嘉兵衛さんの生まれは、島の西海岸、都志(つし)本村ですが、写真の石碑があるのは、大阪湾に面した東海岸の塩尾(しお)。
波瀾万丈の人生を送ったその中で、ネットの年表を見ると
http://takadaya.d2.r-cms.jp/histry/

「1826年(文政9年)58歳の時、津名郡塩尾浦の港改修工事に際し、銀66貫目(金千両)を寄付する。」

とあります。


この工事には五年の月日を掛けたもので、その後おおいに港は栄えたと聞いています。


完成から70年以上も経った明治39年に地元の人々に寄って、この石碑が建てられました。




それから百年以上にもなるのです。




この石碑と石像は、この長い時間地元の人々によって守られて来ました。


ただ、ここ十年二十年は、放置されたままの姿で、阪神淡路大震災時に倒れた石もそのままでした。




僕が島に帰った時、必ず歩くお気に入りウォーキングコースは、この石碑の前を通るので、いつも気にはなりつつ、そのままでした。







それが、




正月三日の朝、いつものように歩きに出てみれば、




草木で覆われたままだったこの場所が、きれいに片付けられ掃除されているではありませんか!


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思わず声を掛けました。


地元の方でした。




前日の正月二日から、仲のよい二人で、この場所をなんとかきれいにしたいと御奉仕しているのだそうです。


お天気はよいのですが、この寒空です。


元旦を終えた二日からの御奉仕。。。頭が下がります。





すみません。




僕は気持ちだけで何のお手伝いもせずに、帰りました。




せめてものお礼の気持ちで、今これを書いています。






江戸後期から明治頭にかけて、僕の母方実家はこの港で廻船業を営んでいました。


嘉兵衛さんの寄付がなければ、それもどうなっていたのか‥‥‥判りません。
きっと深いつながりがあったのではないかと、思っています。




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お二人のこの姿に、「ありがとうございます!」




正月早々、瀬戸内海の青さ以上に、とても清々しい気持ちにさせて頂きました。


※国道28号線沿い、塩田の町はずれ(洲本側)、港が前に見える場所に立っています。


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