僕が初めてアメリカに行った1979年4月に走ったのが最初。
翌年1980年にも走ったので、二回参加した。
1979年の春、当時は佐渡國鬼太鼓座に入座して二年で、ようやくメンバーと一緒にアメリカツアーに参加することになった。
鬼太鼓座は、1975年にボストンマラソン完走後、そのままゴール近くに設置された舞台に上がり太鼓を叩いてデビューした、とんでもない太鼓グループであったわけですが、僕が参加したのは座の5回目のボストンマラソンからです。
マラソンを走ってきてゴールした順に大太鼓を叩いて、ある程度メンバーが揃ったところで、屋台囃子を叩くわけです。
僕のタイムは3時間30分台の平凡なタイム(鬼太鼓座の中では、かなり遅かった)で、もう一回目の屋台囃子の演奏も終わった頃、やっと僕もゴールしていました。
この時は、同級生の瀬古さんも初海外マラソン参加で2位になったので、かなり日本人の間では盛り上がりましたね。
初めてのアメリカで、初めてのボストンマラソンで、僕にとってはもう何がなんだかわからない状態でしたが、とにかくお祭り騒ぎなんです。
僕が知っているのは今から34年も前の事で、現在のボストンマラソンのことは何も知りません。
スタート地点になっていた山の公園ではトイレの数が少なくて、みんな普通に外で立ちションを大行列でしているのですが、アメリカ人も立ちションをするのだと僕は驚き、しかも皆さんその立派なモノを惜しげもなくビュンビュン振り回しながらしているのを目の当たりにし、ショックを受けました。
僕たちは招待選手でもないので、スタートの合図が鳴ってからスタート地点にたどり着くまでも、相当に時間がかかります。
この当時でも参加者1万人は越していたと思います(ああ、でもゼッケンを見ると4桁だから1万人弱だったかも)。
しかし、どうしてこうもみんな陽気なんだと、何度も言いますが初アメリカ体験の僕は呆れるばかり。
沿道の応援も、お水に果物、サンドイッチ、焼き肉、ハンバーガーなど、どんどん差し入れがある。
食べようと思えば、なんでもある。飲み物だってビールにワイン、なんでもある。
沿道でバーベキューやら酒盛りをやっているので、そこに参加すればいくらでも食べられる(僕はそこには参加していませんが)。
それから女子大前?山盛りの女子大生たちが道路にせり出しての大歓声、その中をくぐり抜けるようにして走るのです。
ゴールが近くなると、より一層応援の声が大きくなる。最後の直線コースが長い。
しかしここが滝のような怒濤の応援なのです。
こんなに楽しいマラソン大会は、ない。
心底、そう思った。
あのボストンマラソンが、狙われたなんて‥‥‥‥。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
そして怪我をされた皆様の、一日も早いご回復をお祈りいたします。