金・土・日と、海響太鼓の三日間の指導が終わった。
日本ですでに話は聞いていても、実際にこちらに来て見ないとどういうことなのかは判らない。
やっと少し判ったと思う。
鬼太鼓座、鼓童時代からイギリスに来ているけれど、僕的にはNHK特集の取材が付いていた1985年の印象がとても強い。
今劇場の名前を思い出せないけれど、ホールでロング公演をして、最後に野外で無料のコンサートを行ったのだけれど、この時、口コミだけでものすごい数の人々が集まってくれた。
あれがまさに、ロンドンでの太鼓史(というものがあるとすれば)幕開け的なイベントになったと思う。
完全に火が付いた瞬間だったと思う。僕が28歳の時だ。
その後も、毎年か一年毎に訪れていたけれど、最後に公演したのは、2000年の東京打撃団のツアーだった。
(もし興味がある方は、こちらも見て下さい/http://www.tomida-net.com/omake00.html)
その時から、イギリスの太鼓チームの人たちが色々と手伝ってくれていた。
僕が一人で訪れたのは、その2年後の2002年の事。
(ロンドン満天通信/http://www.tomida-net.com/gekkan80.html)
その時に開かれた一つのワークショップに参加して、初めて太鼓を叩いたのが、今回、僕をイギリスに呼ぶ切っ掛けを作ってくれた冬冬(dongdong)さんだ。
2002年に僕を呼んでくれたメンバーの一人・デビさんが冬冬に声を掛けて、海響太鼓の歴史がスタートした。
だから海響太鼓の歴史は10年くらいなのだろう。
ロンドン市内にもたくさん太鼓チームが今はあるけれど、自分で公演できるグループの中で一番小さい。
今回集まったメンバーは5人で、そこに今は出産の為に休み中のデビさんが加わっても6人。
いつもは4、5人で活動しているらしい。
ここでは自分の太鼓を持つ事でさえ、大変に難しい。
日本では中国製太鼓の出現で一気に太鼓の世界が変わってしまったが、イギリスではその中国製太鼓でさえ、まだ持つ事は簡単なことではい。
こちらまでの運搬費が、太鼓の値段よりもずっと高いからだ。
それでも徐々に、或は何かの切っ掛けで、一気に変わる可能性もあるだろう。
何処の地でも、太鼓の練習場所にどこも大変苦労している。
海響太鼓が練習場所として使っているスタジオが、ロンドンで太鼓が叩ける一番安いスタジオだという。
11年前にも、ここに来た記憶が蘇った。
ここに通った三日間、他の太鼓チームもここで練習していた。部屋が5つくらいあった。
海響太鼓のメンバーは、とても明るく、自由な雰囲気で稽古をしている。
デビさんは、以前日本で太鼓を始めたので当然日本語を話す(今回はお休み中だけど)。冬冬さんは、上海生まれのイギリス人。
他に日本人のショウコさんと、日本に留学経験のある滅茶苦茶日本語がうまいPCさん、日本語勉強中の香港系イギリス人のKAIさん、アメリカで太鼓を始めた台湾人のディンさん。
こんなメンバーなので、英語がほとんど話せない僕でも、指導で言葉の違和感はまったくない。
日本語と中国語を話せば、それで全員が判るからだ。
三日間、何をしたらいいのか、日本では考えられなかったけれど、直接会えば答えはすぐに目の前にある。
声出し、唄から始まって、正面打ち、横打ち、ふせ打ち、秩父、‥‥‥時間はいくらあっても足りない。
その中でも一番盛り上がったのは、やっぱり正面打ちかな。
太鼓アイランドの定番『MASARU』もすぐにみんな覚えて、楽しかったな~。
『AB打』もやったから、イギリスで流行ってほしいな。
また詳しくいつか書きたいと思いますが、今日はこのへんで‥‥‥。
明日から、学校での太鼓指導が毎日あって、土曜日に一般のワークショップ(たぶんイギリス各地からメンバーが集まる)とコンサートがあります。
それが今回の旅のハイライトになると思います。
こちらに着いて六日目の朝、今日は午前2時に目が覚めてしまい、これを書いています。
も、一回寝ます。