朝7時に起きて、S中学校へ。
今朝1時に淡路島の実家に到着したので、今朝は寝不足。
朝風呂で目を覚ます。
S中学校は、とっても小さな学校だけれど充実の太鼓が揃っている。
今は部員が三名。人数が少なくても、やる気は充分な生徒さんたち。
僕も嬉しい。
9時から12時まで、指導。
お昼のお弁当まで頂いて、家にもどる。
たまにしか実家には帰らないので、家の用事がたまっている。
一つずつ片付けて行く。
するともう日が暮れ、夜になった。
今日、片付けをしていて面白いものを見つけた。
(母方の)おばあちゃんの日記と俳句ノート。
日記も俳句ノートももっとたくさんあったけれど、少しだけ形見として残し他は燃やしたそうだ。
その一部がこれ。
これは昭和58年の日記なので、当時は76歳。僕は26歳、鼓童時代。
ちょうど今から30年前に書かれたものだ。
おばあちゃんは、この日記の6年後、82歳で逝った。
毎日書いてある。
分ること、朝起きて墓参り。そして俳句好き。
日記の最後に必ず俳句が一首、多い時には十首以上もあった。
しかし俳句は、残念ながら僕には読んでも意味がよくわからない。
おばあちゃんには、おばあちゃんの生活があったのだ。
例えば、昭和58年11月23日の日記は、こんな感じ。
十一月二十三日 天気晴 夜雨
水 六時 起床 墓参
朝寝してビックリ 薄明かり 夜明けでした
朝食後、洗濯して、山花取りに行き、十一時半帰へり 生穂へ玉子買入、
十二時過ぎより真農先生宅へ行き、玉子買入帰宅 昼食
二時過ぎ玉葱を植えに山に行く
千恵子に苗二百貰う
柿椀ぎて もてなしくれし 山家かな
暮るる庭 サルビア燃えて 大学寮
※祖父母の家は雑貨商を営んでいたので、毎日玉子の買入にも行っている。他にもいろんな商品の仕入れに行っている。
商いの他、畑も作っていた。真農先生は、俳句の先生。千恵子は、僕の母
おじいちゃんの日記もあって、これは没後、自費出版で本になっている。
母方の祖父母は二人共、書くのが好きだったんだ。
僕も少しは似ているのかもしれない。
祖母の記を 眺めて筆波 聞こゆるは それぞれの生 流るる時間