昨年12月5日にプレオープンしました、30周年記念・山野實写真館ですが、
あれからお気づきの方もいらっしゃったかもしれませんが、
じょじょに枚数を増やし(現在65枚)、私のキャプションと山野さんのコメントを付け、点数が多くなったので、第一部から第三部に分け、また本日新たに、山野さんから最後のメッセージ(第三部に掲載)も頂き、正式オープンと致しました。
朝、まだ寝ている僕に太鼓アイランド草加・代表のNさんから電話を頂きまして、
「トミダさん、外見てください。今日休みにして下さい」
電報のようにいつも簡潔なメッセージです。
雨戸を開けてみますと‥‥
なるほど雪です。
しかし、雪国の雪とは比べ物にならない軟弱そうな、雨にちょっと毛が生えたくらいの雪(実際にそんなのが降っていたら不気味でしょうが)でした。
トミダ車はもちろん、雨も雪も関係なくチェーンを付けて発進できますが、集まる方が来られないということで中止になり、別日に替わりました。
そうすると時間が急に出来たので、また山野さんに電話をしてネット写真館について話していました。
実際のページには反映されていませんが、HPに書かれていないことで、様々な他の人には何の関係も興味もたぶんないだろう想い出話の数々です。
例えば、
今を溯ること34年前(1974年)の春のお話。
日本マラソン界の巨匠山田敬蔵さん と花見川団地で毎朝ジョギングを楽しんでいたという山野さんがある日、東銀座・歌舞伎座横の文明堂レストランで食事をしていたのです。
「この前走った青梅マラソンで面白い若者たちが参加していてね‥‥」と語る山田さん。
そうしているうちに、レストランでテーブルを二つほど挟んで座っている若者グループを発見!
「なんだか似ているけれど‥‥まさかね‥‥」。
しかし、足元を見るとトレーニングウェアとジョギング靴。
それで声を掛けようかどうかためらっていた山田さんに替わり、山野さんが彼らに声をかけたそうです。
それが青梅マラソンに初参加(1974年2月)した鬼太鼓座メンバーのキリさん、ハンチョウ、英哲さんら五人だったといいます。
これが山野さんと鬼太鼓座とのフトした出会いでした。
そしてその後、日生劇場で国内本格お披露目初公演(1975年7月)する鬼太鼓座に、山野さんがどっぷりハマッテいった、とこういうお話。
僕が入座した時も、鬼太鼓座はもちろん太鼓を叩くグループでしたが、その前に走るグループであり、太鼓が上手なことよりも、走るのが速いことの方が重要だったのです。
ま、そんなお話を伺ってておりますと、日曜の静かな昼下がりになっております。
今日が第42回、青梅マラソン大会でしたが、12年ぶりに雪で中止になったんですね。
富田和明30周年記念『山野實ネット写真館』 本日オープン致しました。
どうぞごゆっくりと、ご覧下さい。